太平洋戦争初期の日本軍攻勢の流れの大きな転換点となったのがミッドウェー海戦と呼ばれる戦闘です。
この戦いでよく論じられているのが、
「日本海軍の戦力がアメリカ海軍と比べると圧倒的に上回っていて、普通にやれば簡単に勝てた」
というものです。
中には、ミッドウェー島海戦に勝利していれば、ハワイ島まで占領をして、日本が太平洋戦争に勝利していたなどと主張する人もいます。
しかし、ミッドウェー海戦に関するデータを調べれば調べるほど、日本がアメリカに勝てる可能性は限りなく低かったということが見えてきます。
この記事では日本が勝っていたという言い分に対して、自分なりに反論してみました。
ミッドウェー海戦とは
1942年6月5日から7日にかけて日米空母機動部隊がミッドウェー海域で繰り広げた大規模な戦闘。
山本五十六長官などの連合艦隊司令部が強硬に推し進めた作戦で、ミッドウェー島占領と共にアメリカ空母部隊をおびき寄せて壊滅するのが目的でした。
太平洋戦争において、日本海軍が上手く戦って勝利したと言える海戦はいくつも存在します。
しかし、このミッドウェー海戦に関しては、日本側が勝つ可能性は限りなく低かったのです。
日本の敗北の原因として、山本長官の作戦自体がおかしかった、または南雲艦長が無能だったという考え方もあります。
しかし、この記事では、司令官の能力よりも日米双方の科学技術のファクターに焦点を当ててみたいと思います。
日本がミッドウェー海戦で勝っていた根拠
日本海軍は連戦連勝だったから運が悪かっただけだ!
太平洋戦争初期では空母同士の戦いがなかったので、全く参考になりません。
真珠湾攻撃やセイロン沖海戦はあくまで連合国の準備が整っていなかったことによる勝利と考えるべきだったのです。
ミッドウェー海戦の直前に、史上初の空母同士の戦闘である珊瑚海海戦という戦闘がありました。
この戦いでは、アメリカの正規空母を撃沈した日本側の勝利であると考える人がいます。
しかし、日本は当初の目標であるポートモレスビー占領に失敗し、しかもアメリカ側より数多くの航空兵力を喪失したことを考えると、とても勝利と呼べるものではなかったのです。
日本が珊瑚海海戦での失敗を教訓にできなかったことが、ミッドウェー海戦への敗北につながっていきます。
日本側の艦艇の数がアメリカ側を圧倒していた
ミッドウェー海戦に参加していない戦艦や駆逐艦まで数に入れて圧倒的有利だと主張するのは意味がよくわかりません。
海戦当時、日本海軍の大半の空母・戦艦は陽動作戦と称して、ミッドウェーから遠く離れた海域に位置していました。
しかし、日本の作戦暗号はアメリカに筒抜けだったので、これらの作戦はアメリカ軍に相手にされないという結果に・・・。
実際に戦闘に参加したのは日本側は空母四隻でした。
アメリカ海軍は空母三隻で有利に見えますが、ミッドウェー島にも航空機が配置されており、実質的には四対四の対決となってしまいました。
さらに、航空機数ではアメリカ側の方が数が多かったことも判明しています。
日本側の空母搭載機261機に対して、アメリカ側は空母搭載機233機と基地配備機119機で、100機近くアメリカが多かったのです。
空母部隊には護衛の戦艦や駆逐艦が数隻同行していましたが、日本海軍の戦艦は対空攻撃能力が皆無のため、航空機がメインの戦闘では何の役にも立ちませんでした。
戦艦を空母の囮として使うなら、使い道はあります。しかしこの時点で日本軍にその発想はなかったようです。
日本海軍の暗号が筒抜けだったけど、それは勝敗に関係なし!
現代でも情報軽視の日本人が数多く存在するのは悲しい限りです。
ミッドウェー海戦によって、アメリカ側は日本の空母がいつやってくるか、何隻の艦隊なのか、どの方角からやってくるのか、まで把握していたのです。
日本軍の攻撃陣は空母中心なので、動員可能な戦闘機を大量にミッドウェーに配置しました。
そして、ゼロ戦が攻撃してくる直前に航空機を飛び立たせたので、ゼロ戦はお得意の格闘戦もできずに空振り。
分の悪い戦闘機の格闘戦をしなくても、敵の空母さえ撃沈しさえすれば、空母戦は勝利になります。
アメリカ側の作戦はどこまでも理にかなっていました。
情報戦に敗北したことで、日本側の海戦の勝率が限りなく低下していたのは明らかです。
零戦は無敵の戦闘機だった
太平洋戦争で無敵の戦闘機だったという「零戦神話」が盛んに喧伝されていましたが、実際には多くの欠陥が存在し、過大評価だったことが分かっています。
太平洋戦争初期、日本軍がアメリカ軍よりも航空機の戦いで有利だったのは零戦の能力というよりもパイロットの能力の差によるものです。
日本軍は太平洋戦争開戦まで中国大陸で実戦経験を積んでいて、ベテランパイロットが数多くなります。
一方、アメリカ側は戦争が始まってから武器の生産やパイロットの養成も本格的に開始したので、戦争初期に日本側が有利になるのは当たり前のことなのです。
零戦は一対一のドッグファイトの戦いを重視して、機体を軽くするために防弾装備を省略していました。
その結果、戦争が進むにつれ貴重な熟練パイロットがどんどん戦死していき、太平洋戦争後期には初心者レベルのパイロットばかりになってしまいました。
零戦の真の実力については、下記の記事で詳細に分析してみたので、読んでみてください。
当時のレーダーはレベルが低かったから勝敗には関係ない
レーダーの有効性を必死に否定したがる人が数多くいるのが不思議でなりません。
当時のレーダーが、性能的にまだ不完全なものだったとしても、人間の肉眼で捉えられない情報をいち早く入手できる価値には絶大なものがあるのです。
ミッドウェー海戦の直前に勃発した珊瑚海海戦では、アメリカ側はレーダーを活用して日本側の戦闘機を効果的に迎え撃ちました。
その結果、練度ではかなり劣るアメリカが日本側の航空隊を相当数撃墜することができたのです。
レーダーは当時の最先端エレクトロニクス技術が必要で、米英より数段劣る日本の科学技術レベルでは必要性を理解するのが困難だったのでしょう。
日本はアメリカのレーダーで何度も手痛い敗北を喫して、ようやくその必要性に気がつきました。
南太平洋海戦では、日本側の方もレーダーを活用することで、ミッドウェー海戦の時よりも防空体制を上手く敷くことができました。
とはいっても、アメリカのレーダーと比べてはるかに劣る性能で、その差は終戦まで縮まるどころかどんどん開いていきました。
日本軍は無線通信機器も終戦まで満足なものは作れず、最後までモールス信号通信が主な手段だったのです。
電子機器の技術力の差を考えると、敵の姿が見えない空母戦をアメリカと行うのは無謀だったと痛感します。
結論として、ミッドウェイ基地や空母に大量のレーダーを備えつけてアメリカ軍が万全の体制で待ち構えている場所に、レーダーを持たない日本の空母部隊が近づくというのは自殺行為としか思えません。
索敵をしっかりやっていれば日本側が先にアメリカの空母を発見できた
空母同士の戦いでは、先に敵の空母を見つけた方が圧倒的に有利というか、ほぼ必勝になります。
しかし、この重要な索敵を日本側はおざなりにしていました。
索敵機を増やすと、その分、空母に積める攻撃用の戦闘機を削らなければいけません。
そのため、日本側は索敵機の数をケチりました。
アメリカは索敵機をミッドウェイ基地だけで日本軍の4倍の数出動させていました。
広大な海の上で上空から空母を発見するのは大変なことですから、日本の索敵機が敵空母を見逃したのは、起こるべくして起こったことなのです。
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