日本の国力がどんどん落ちぶれている影響なのか、最近になってやたらと日本を礼賛する論調が増えています。
その中の極論といえるものの一つに、太平洋戦争において、「日本の実力は決してアメリカに引けを取らなかった」というものがあります。
さらに極端になると、「うまくやれば日本はアメリカに勝っていた」などという人たちまで存在します。
彼らがそのようなトンデモ戦記に走る心の拠り所がどうやら零戦神話にあるようなのです。
「日本は零戦というアメリカの戦闘機を上回る名機を独力で作ることができた」と。
アメリカの物量と資源に負けただけで、日本は科学技術では勝っていたという方向にもっていきたいのでしょう。
この記事では、零戦神話は妄想に過ぎないことを証明していきたいと思います。
これを読めば、零戦神話は戦争で打ちのめされた国民の傷を癒すために生まれてきたおとぎ話だったとことがわかるはずです。
戦後に作られた零戦伝説
零戦の正式名称は零式艦上戦闘機です。
艦上戦闘機は航空母艦から発艦・着陸し、敵の戦闘機を撃墜するのが主な役割になります。
宮崎駿監督映画の「風立ちぬ」では、主人公の堀越二郎氏が当時の日本の遅れた科学技術能力の中で、苦心して零戦を作り上げた物語が描かれています。
零戦の強さが知られるようになったのは、太平洋戦争後、アメリカの軍人から零戦は強かったので格闘戦は避けるよう命令されていたという証言が出てからです。
敗戦で打ちのめされて、自信を失いかけていた日本人は零戦最強伝説に飛びつきました。
多くの小説や映画で零戦の無敵の強さを描く物語がたくさん作られました。
無敵の零戦を生み出した日本の科学技術はアメリカに劣っていなかった、物量や資源の問題で負けただけではないかと考える人が出てきました。
日本人は世界一優秀だと考えたがる人には心地よい物語かもしれません。
しかし実際にはゼロ戦は当時の最強の戦闘機でも何でもありませんでした。
根拠は以下の通りです。
零戦の欠陥
開戦当初、零戦が米軍の戦闘機に対して優勢だった期間は確かに存在しました。
その理由は以下の通りです。
つまり、零戦自体の性能が米軍の戦闘機を大きく上回っていたわけではありません。
また優勢だったにしても、零戦が無敵の強さを誇ったという表現は明らかに誇張に過ぎます。
太平洋戦争当時において、報告された戦果や撃墜数に関してはパイロットの自己申告を信用するしか方法はありませんでした。
戦闘機の撃墜数はどこの国のパイロットを過大に報告しがちでしたが日本の場合は特にそれがひどかったのです。
まだ未熟だった米軍パイロットが操縦ミスで墜落したものまで撃墜にカウントしていたようです。
零戦のライバルに当たる米軍の戦闘機「ワイルドキャット(F4F)」が零戦のカモだったという話は事実ではなく、意外にいい勝負をしていたというのが真相です。
実際に、ウェーク島の戦い、珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦において零戦はワイルドキャットに相当やられていたわけで、無敵ではありませんでした。
零戦設計者の堀越氏はアメリカと比べてパワーの劣ったエンジンしか持たない日本が対等に戦えるようにするために、零戦の機体の構造を極限まで軽量にしました。
機体の軽さのおかげで零戦は運動性能で米軍の戦闘機を上回り、格闘戦で優位に立つことができたのです。
しかし、その引き換えとして防弾装備持たない零戦では、僅かな被弾がパイロットの生死に直結することになりました。
戦争が進むにつれて、零戦の熟練パイロットがしだいに減少していくことになります。
その反面、米軍の戦闘機ワイルドキャットは、防弾装備がしっかり備わっていたので多少被弾してもパイロットは助かることが多かったのです。
目先の格闘戦にとらわれた日本軍とパイロットの生命を最優先にした米軍。
戦争が進むにつれて差が広がっていくのは当然のことだと言えます。
零戦の脆弱な機体は、特に急降下の時にその弱点をさらけ出してしまいました。
600キロを超える速度で急降下すると、翼が折れて空中分解してしまう事故が多発したのです。
戦争が進むにつれ、米軍にその弱点を見抜かれて、零戦の得意な格闘戦に付き合ってくれなくなりました。
米軍が2機の戦闘機が協力して急降下の時のみ攻撃する「サッチ・ウィーブ戦法」を使うようになってから、零戦の優位は崩れていきました。
零戦の機銃はアメリカやドイツの戦闘機と比較すると、旧式で性能の低いものでした。
20mm機関砲はスイス・エリコン社のライセンス生産品でしたが、発射すると零戦の脆弱な翼がしなってしまい、まっすぐ飛ばないので、敵機に当てるのはベテランの神業がなければ不可能だったのです。
また、20mm機関砲はわずか数秒で打ち尽くしてしまうので、その後は非力な7.7mm機銃で戦うしかありませんでした。
パイロットの技術の差が接近してくれば、勝敗を分けるのは火力ですから、零戦はどんどん不利になっていきます。
航空戦が重視されるようになってから、最重要の課題は大量の戦闘機をいかに効率よく製造するか、ということになりました。
零戦では機体を軽量化するために機体の部品に穴を開けるということをやっていました。
また、空気抵抗を少なくするために、出っ張りの少ない枕頭鋲(ちんとうびょう)を使っていました。
零戦の製造工程は当然複雑になっていきました。
アメリカの戦闘機の技術者によると、ワイルドキャットより零戦の方が4倍も製造時間がかかるそうです。
ワイルドキャットは零戦より格闘性能で劣っていても、そこそこの性能でも量産性を重視するという実用的な思想があったわけです。
零戦の無線装置はまったく使えませんでした。
パイロット同士が通信できないとなると、個々人のパイロットが勝手に戦うだけで、高度な協調作戦行動はできていなかったことになります。
当時の日本のレベルでは、エレクトロニクス関係の科学技術への理解が乏しかったのです。
アメリカ製の無線装置を見よう見まねでコピーして作りましたが、銅線回路はキチンとした絶縁体に包まれておらず、アース線の取り方も間違っていたのでまともな通信はできませんでした。
それに対して、開戦前にアメリカから輸入した無線装置の方はきちんと通信できていたようです。
原理を理解せずにコピーだけしても限界がある典型例と言えます。
たいした問題では無いと思われるかもしれませんが限られた空母の甲板になるべくたくさんの戦闘機を配置するために、邪魔な翼を折り曲げる機能は艦上戦闘機には不可欠です。
米軍のワイルドキャットは翼の根元から折り曲げることができました。
しかし零戦は翼の先端部分しか折り曲げることができなかったのです。
零戦は空母の艦上戦闘機としては失格と言えるでしょう。
零戦神話から見える日本の幻想
堀越二郎氏の機体設計など独自開発の部分はあるものの、海外の模倣の要素は色濃く残っていました。
その証拠に、戦争が進むにつれ、各国の戦闘機はどんどん性能アップしたの対して、ゼロ戦はほんのわずかな性能アップしかできませんでした。
原理がわかっていなければ、当然そこから発展させることはできません。
独自の技術がないから一旦戦争が始まって海外からの技術や情報が入ってこなくなった途端、日本の兵器の大部分は発展性を失ったのです。
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